キンプリの普遍性と時代性を考える

僕がなぜ、いまキンプリにハマったのか。治験の最中にひたすらネットサーフィンしていたところ、ようやっと言葉にすることができました。※注:本編のネタバレを含みます。

心のときめき、内発性の肯定

「プリズムの煌めき」は「内発性(動機とその根源)」と言い換えることができて、それは明確な目標を持ちにくい時代を生きる上で大切なものなんだなぁと、そんなことに気がついたhttps://t.co/Ld6Xz1yIky

— カワタカイザー (@kawatakaiser) 2016年3月20日

僕はこの作品から「大好きなものを大切にして下さい」と言われたような気がしています。

そして、それは今の自分(絶賛無職中)に、そして多くの若者にとって大きな意味をもつメッセージだと思います。

キンプリの普遍性と時代性

ではどうしてそう思うに至ったか、思考の流れを追っていきましょう。
まずは評価の仕方について。

以前、東宝の川村元気プロデューサーが

”映画に限らずコンテンツは「普遍性×時代性」だと大昔から言われます。怖い、笑える、泣けるといった人間の感情が「普遍性」ですが、映画は特にお金を払って見るものなので、感情への対価がものすごく求められます。それに加えて、「なぜ今なのか」、つまりなぜ今この時点で公開するのかという「時代性」が求められます。”

述べていて、その通りだと思い、最近見たコンテンツの中で、そういうものは何かな?と思ったので、箇条書きで纏めてみたいと思う。

時代性と普遍性 『思考拠点』様より

何かの折に見かけてとても納得したので、今回はこちらをお借りします。

キンプリの「普遍性」

・映像と音楽、演出によるライブとしての快感
・絶妙なセンスから繰り出される小ネタ
高度なギャグとしてのホモ描写

母(50)でさえ「よくわからないけど楽しかった」と評したことからも、キンプリのライブとしての楽しさは普遍性があると言えそうです。小室サウンドの力は大きいと言えそうです。

また「(ピンときていないけど)楽しめる部分はあった」と評した友人は所々に散りばめられた笑いどころを楽しんでいたと考えられます。

僕自身、初見の際には開幕の国立競技場ザハ案で笑った覚えがあります。
4/18追記:女神像がスケート靴履いてるの、20回目にして気づいて笑った。

キンプリの「時代性」

バブルが崩壊していない、っていう設定は聞き流してたけど、だからこそあの世界の人たちは未来を信じてキラキラと輝くことができるのだ けれど明確な目標のない今を生きる上では自分の心を信じることが必要で、その辺が上手いこと響いてキンプリは気持ち良いのだろうなと思う — カワタカイザー (@kawatakaiser) 2016年3月23日

・人生の指標を思い出させてくれる

ざっくり言うと今は「明確な目標を持てない」時代だそうです。
何になれば良いのか、何をすれば幸せになれるのか。

選択肢は無数に広がっている。
それでいて経済の成長はピークを過ぎているので、誰もが成功者にはなれない。

参考URL
1990年代から2010年代までの物語類型の変遷〜(以下略
物語三昧~できればより深く物語を楽しむために 様より

そんな中で、我々は何を道標にすればいいのか?
キンプリはそうした疑問への回答を示してくれたと思います。

まとめ

キンプリが示した価値観は、

大好きなものと初めて出会った時のことを覚えていますか?
それを覚えているなら、きっと世界は輝いて見えるはずです。

こんな感じだと思います。
大好きなもの。自分の心をときめかせてくれるものが、貴方の指標だと。

僕はこれを受け取ったからこそキンプリが大好きになりました。
(初見の際にはちょうど無職だったし。)

もちろん応援が楽しいとかそういうのもあるけど、根っこの部分はここなんじゃないかなと思います。

だからこそ、人生に迷っている人ほどよく刺さるんじゃないかな。

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