デビルマンを読みました【漫画感想】
一時期、ゆっくり動画を漁っていて。実写版:デビルマンの紹介動画があり、そこでメタルマンの人が「原作ぜひ読んで!!」とオススメしていたので読みました。ネタバレを含みます。
ふええ……作者キレッキレかよ……(←真っ先に出た感想)
実写映画で興味を持つ
なんかすごく、酷かったらしいと。
詳細はメタルマンの人が語ってくれてるので、こちらをどうぞ。
この中でチラホラと原作の内容に触れていて、
気になったので読んでみました。
……キレッキレでした(語彙)
感じたテーマ性
Q.人類がこの世に生きる価値はあるのか?
A.ない!!(どんっ)
だいたいこんなかんじ。
主人公が人類を見捨てるのがもはや清々しかったです。
その後、憎しみから神に宣戦して、最終戦争を始めて……
なんで?なんでこんな?え?
ってなったのですが、wikiで作者の経歴を見たら少しだけ腑に落ちました。
作品の背景
曰く。前作「ハレンチ学園」にて、表現規制がどうのこうので、
世間からのバッシングを受けていたらしく。
作中で描かれる群衆の狂気とそれに対する激しい怒りは、
そういうところから来ているのだなぁと。
また主人公が辿った運命は、
「権力側も抵抗する個人の側も互いに奮うのは暴力だけ」という世界観の現れなのだろうと。
まとめ
デビルマンは人類のダメな部分を爽やかに否定してくれました。
一番好きなシーンは、主人公が研究員を蒸発させるところ。
・主人公は悪魔人間
・悪魔の存在が公になり、人間に寄る悪魔狩りが行われる
・主人公、悪魔研究所に潜入→主人公の家族(人間)が拷問され死んでる
・研究員「お前の仲間(悪魔)は殺してない!」「助けてくれ!」「上に言われてやったんだ!」
・主人公「人間のくずめ、貴様らに生きる価値はないッ!!《蒸発させる》」
あれなんですよ。
「人間ってゴミみたいな存在だけど、まぁこんなもんだよね」
「俺(作者)もそうだしさ、それって仕方ないよね」
そんなメッセージを放つ作品が僕は基本的にキライです。
あまり具体例を上げるのは良くないけど、
僕の中でその代表格は虚淵先生です。
(なんかもう嫌いすぎて逆に見に行きたくなっちゃう系のアンチなので、
純粋なファンの方は「愛が歪んでるフレンズなんだね!」と思ってね。)
さておき。
そんな作品が嫌いだし、そんなメッセージをわざわざ発信しやがる作者も嫌いなら、
それを受け取って喜ぶ受け手も大ッ嫌いです。
期待すること、前を向くこと、夢を見ることを辞めてどうする?!
とまぁそんなわけで、『デビルマン』が終盤で人類のだめな部分を強調してきたときは、
どうなることかと思ったのですが。
いや実際には早すぎる展開(昨今の漫画比)に振り回されて、
そんなこと深く考えてなかったと思んだけど。
ともかく。
この作品は人類のダメな面を強調した上で、それに激怒してくれました。
「人類にはこういうダメなところがあるッ!!」
「そんなんじゃダメだ!!」「そんな奴らに生きる価値はない!!」
つよい。そして、キレッッキレであるなぁ……。
蛇足:誰かに何かを期待すること
大学時代、ゼミの教授はこんな言葉を引用していました。
「過去と他人は変えられない。
変えられるのは、自分と未来だけ。」
当時の僕はまぁそりゃそうだと思い、
イライラするのも仕方ないから、嫌いなものからは距離を置くようにしました。
続けてもいまいち楽しくなってこない演劇サークルは辞めました。
辞めるまでにけっこうもがいた気もしますが、それも無駄な努力だったかもしれません。
家族内の人間関係が鬱陶しかったので、ひとり暮らしを始めてみました。
改善の見込みがないなら、距離を置くのが最善でしょう。
(ちなみに最近、気がついたら離婚していました。まぁそりゃねぇ)
閑話休題。
何もかもにイライラしていた気がする高校以前に比べて、
とても穏やかな日々を送った気がします。
たまにイラつくことがあると、「おっ」と思うくらいには平穏でした。
他人に期待することを辞めた。諦めた。
生長したと言えるし、若さを失ったとも言えるでしょう。
ただ、世の中にはそれでも何かを誰かに叫ぶ人たちがいます。
それは『デビルマン』であったり、『ガッチャマンクラウズ2期』であったり。
表現というのは、そういうことなのだなぁと思っている今日このごろです。