こないだの話の続き【独り言】

少し前の話の続きです。
冷笑主義的なものに傾倒している氏は周囲のことを「壊れたロボットのようだと思っている」と表現していました。

今風で面白いですね。
僕の時代にもそんな感じな人はいたと思うけれど。

むしろRPG全盛期だったしな……(30歳)。

さておき、その構成要素としては、不信感と、ゲーム的な世界観と、根底には自信のなさ……そんな感じなのかなぁと思います。

信じるという行為には、もし裏切ったら相手をぶっ殺関係を終わらせちゃえばいいさ、という開き直りが必要であり……そう思えるようになるには、当人に一定以上の自信が必要なのだろうと思います。

例えば友人を家に泊めるとき。

まぁこいつなら金持って逃げたりしないだろう、という相手への信頼もさることながら。
ちょっとくらい無一文になっても死にはしないだろう、という己への信頼もまた必要だろうと……

と思ったけど、まぁうん。
少し前までちょっとの現金を失ったら即死するくらいにはギリギリの生活だったので……あの状況下でリスクを取ることができたかと言われたら自信はないかもしれないですね。

まぁそれでも友人だったら家に上げるとは思うけれど……
「こいつに殺されるならしゃーない」と思えるくらい好きになることが、僕の友人の定義だから(なにこいつ重)。

そんなわけで付き合う相手については死ぬほど選り好みしている訳なんだけれど、そんな偏屈野郎と交流を保ってくれている友人各位には感謝しかないですね。

そういえば先日、急に駅前で謎の青年に話しかけられてそのうち一緒に遊びに行くことになるかと思ったら、友人からストップがかかって結局そいつとスプラトゥーン3でバイトをすることになった話があるんですが、これはまたそのうちに。

閑話休題。

 

信頼関係の基礎は、愛着の定義から考えると基本的には家族へのそれから始まって、徐々に対象が広がっていくものであるとされています(詳しいことはピアジェ先生に聞いてください。僕は詳細を忘れたので雰囲気で喋っています)(調べたら愛着理論はJボウルビィじゃねぇか!!)。

他者との関係をどのように形成していけば良いのか。

個人的にはある時期になんかそんなことが良くわからなくなって、田中ロミオ先生あたりの影響を大いに受けつつ、なんとなく最近ではもうどうでもいいかな、適当でもなんとかなるかなと思っているのですが。

こう……幼い頃ってそういうこと考えずとも、なんか色んな人と一緒に遊べたりするもんだと思うんだけれど。
いや僕自身が天真爛漫なアホな子どもだっただけかもしれないけれども。

わりと初期段階からそんな感じになって、ひろゆきさんの言葉を引用せざるを得なくなってるような人も、きっと世の中には存在していて……なんというか、大変であるなぁ、その大変さを楽しめよ。そこから這い上がることでしか見えない景色もあるから……思うさま苦しむがいいさ……死なない程度にな!!

とか思ったりするのでした。

生存者バイアスって怖いね!!

お前はたまたま生きてるけど、そうじゃなくて死んでいく人もいるんやで……
ザコ乙(やめなさい。やむなく命を絶つ人をそういう風に言っちゃいけないですわよ!!)。

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